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他人の生死にまで関わろうとする気持ちはわからないけど
「誰でもいいから殺したい」というのは
「誰でもいいから自分の話を聞いてほしい」って
ことなんだろか。
それにしても 他人の血を見るまで接触するとは
自分自身との距離さえ測りかねているとしか思えない。
昨夜は また母の入院中の日記を読み
もっとたくさん手紙を書いてあげればよかった と
後悔後悔後悔。
長い入院生活の中で 連絡が途切れがちになると
きっと母は 突き放されたような気持ちになっただろうなと
また 後悔。
自分で動くことができないのに 不安と孤独を与えてしまって
謝るには遅すぎる。
実家と病院の往復生活の後に 半年振りに東京に帰った時には
父親の暴力からの解放で 私もすっかり放心状態で
手紙どころか その半年間の現実味が急激に薄れて
手のひらから ぽろぽろぽろぽろ 剥がれていったのを思い出す。
現実味だけではなく 昔から母と私の夢というか妄想というか
「お父さんが死んだら いろんな楽しいことをしよう」という
そういう願いもなにもかも 実現不可能になってしまった。
先日 実家の処分の準備で家の中を整理していて 最初に目についたけど
きっと私のものだ処分してもらおうと 棚に放置していたビデオテープを
最後の日になんとなく手に取ってみると 母が結婚前に務めていた会社の
50周年記念パーティーのものだった。
おおおおこんなお宝を処分するところだったっ あぶないあぶない と
バッグに大事に入れて 東京に持って帰ってきた。
母が筋無力症を発症する2年前で 今から12年前のものだった。
母は そのパーティーにどんな服を着ていくか 東京にいる私に
電話で相談してきて 夏だから華やかで涼しげで 花の模様の生地が
いいんじゃないかなとアドバイスをして 母は作りに行って
白地に淡いピンクの花のスーツだと言っていたんだけど
パーティーの様子を映したテープには その服を着て
にこやかに笑っている母が居て わー しゃべってるし歌ってるし
祝辞が長すぎて 母飽きてるっぽいし!とか
動いてる母を見るのが久し振りで 不思議な光景だった。
私が動いている母に会ったのが イスラエルに行く直前で
じゃぁね 行ってくるからね 私が帰国するまでは生きててよ
わかったお母さんがんばるからね 気をつけてね生きて帰ってくるんだよ
と ばいばーい って手を振り合ったのが最後だったので
元気だった頃の母の映像と 脳裏に残っている難病でよろよろの母と
交互に甦ってきて 嬉しいのと悲しいのとで 只今ぐちゃぐちゃ中。
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